店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
「LGBTは生産性が無い!」という発言が、物議を醸しております。あるいは、「女子の競技にトランスジェンダーが出場するのは不条理!」という意見もございます。ワタクシはね、こういった話題が、甚だ、「非論理的」に議論されていることに、「あぁ、日本の知識人の程度の低さよ...」と嘆いております。では以下に、どれほど非論理的なのか、ご説明いたしやしょう。
まず、「国にとって生産性は必要なのか?」ということがございますよね。この場合の生産性とは、「子供を産むこと」でございますね。これは、しごく当然。なぜなら、人口が減っていくと国力が衰えるというのは当たり前の事だから。ですから、「子供を産んだ家族は優遇される」という制度は、国力を維持する上で、非常に論理的で理にかなった考え方なのでございます。これが、大前提となりますよ。
「LGBTに生産性が無い」というのは、間違ってはおりません。しかし、線引きが間違っているため、いたってこの議論は非論理的になってしまっているのでございます。「LGBTと非LGBT」の間で線引きするのではなく、「子供を産んだ家族と子供の無い家族」の間で線引きをするべきでございますよね。この線引きで「差別」されるのならば、LGBTからも文句は出ないはず。ほ~ら、モヤモヤした議論が、しごく明解に透き通って見え始めたのではないでしょうか。
では、お次、男性から女性に変わったトランスジェンダーが、女性の競技に出場してメダルを取ってしまう問題に関して。さぁ、この場合も、線引きが間違っているために、モヤモヤした非論理的な議論になっちゃっております。そもそも、なぜ、スポーツが男性と女性に分けられているのか? そこから考えなければいけませんよね。
体が男性、というか、男性のDNAを持っている人は、男性ホルモンの影響を強く受けますよね。男性ホルモンには「筋肉が付きやすくなる」という効果がございます。出た!三段論法! この命題で得られる結論は、「男性のDNAを持っている人は、筋肉が付きやすくなる」のでございます。ですから、男性はスポーツでは有利になる。そのため、多くのスポーツが男性と女性に分けているのでございます。