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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2016-06-15 【人は世に連れ、世は人に連れ】

今日は、昨日の続き。「コンパニオンが何か失敗した、あるいは明らかに間違ったことをしている」という場合を、実際の体験を交えてお話しいたしましょう。

風俗嬢の一般常識として、「香水を付けない」「ネイルをしない」ということがございます。いや、「ございました」と言った方がいいかも知れませんね。これは、お客様に匂いを付けない、お客様の体に傷を付けないといったことへの配慮でございます。ところがですね、この香水とネイルが、お店の中でちょっとしたブームになったことがございます。

もう何年も前のことですが、ある売れっ子コンパニオンが、ゴテゴテのネイルを施し、強めの香水を使っていたことがございました。ワタクシとしては柔らかく注意をしましたが、何となく気まずい雰囲気。注意されたことがご不満な様子でございました。ここで、2つの考え方が出来るのでございます。

・一般常識に従えば、もっと人気が出るはず
 ・既に人気があるのだから、あえて直す必要は無い

そこで、昨日の4択を再掲載いたしましょう。

・たまたまなのか、いつもなのか?
 ・誰かの真似をしているだけではないか?
 ・または本人の価値観では正しいことなのか?
 ・私の価値観では間違ってはいるけど、これはこれで正解なのかも?

こういった考察を巡らすわけでございます。こういうのは、頭に血が上っているときには良い結果が出ないものでございます。自らをクールダウンしながら観察を続けるのがいいのでございます。

その結果、「たまたま」でも「真似」でもないのは確実。では、本人の価値観は? ワタクシの価値観では、「お客様に香水の匂いを付けるくらいなら、汗臭いままの方が良い」という考え方。でも、そのコンパニオンにとっては多分、

「汗臭いよりは、たとえお客様を減らしてでも香水を付けたい」
  または、
 「香水を付けた方が、付けないよりも人気が出るはず」

と思っていたかも知れません。

そこで、4択の最後の選択肢に行き着くわけでございます。ワタクシとそのコンパニオン、どちらの価値観に従うかを、客観的に判断するのでございます。すると、

・そのやり方で、すでにそのコンパニオンは人気を博している
 ・注意をすれば気分を害してパフォーマンスが落ちるかもしれない
 ・直させることのプラスよりも、パフォーマンス低下のマイナスの方が大きいかも

なんて考察をいたしますと、「そのまま放置」というのが最良の対応だということに、行き着いたのでございます。その子はそれでうまく行っているのだから、あえて触らないという事ですね。ただ、全てにおいて、これが当てはまるわけではございません。

その売れっ子コンパニオンの真似をする、ちょっと苦戦しているコンパニオンがございました。その子は人気を出したい一心で、売れっ子の真似をしていたのでございましょう。この子の場合は、ワタクシはネイルや香水をしないように注意したのでございます。売れっ子とこの子では、ベースとなる条件が違うからでございます。

以前から時々お話しておりますが、売れるコンパニオンというのは、独特の「引力」を持っております。ですので、多少の「不可」が有ってもそれを補って余りある「可」を持っているのでございますよね。でも、その「引力」を持っていない人が形だけ真似をすると、「可」が少なく「不可」ばかりになってしまうのでございます。

でも、この違いを本人に納得させるのは至難のわざ。「あの子は良くて、どうして私はダメなの」となるわけでございます。こうなると、少しずつ諭すようにお話を続けながら、本人が「悟りの境地」に足を踏み入れるのを待つしかございません。でも、いつまでもその悟りに至らない人も多いもの。悟りというのは、自分を一段高いところから客観的に俯瞰で見ることでございます。それが少しでも出来る人は、伸びるのも速い。逆に、それが難しい人は、苦戦することが多い。

人を指導するというのは、難しいですね。人を悟らせるために、まず自分が悟らなければならないことも多い。まるで、禅問答のようでございます。さらに、最近は、ニューハーフのお店にいらっしゃるお客様の客層も、大きく変化してきております。特に、ここ10年くらいは顕著でございますね。それにつれて、ワタクシ自身の価値観も大きく変えさせられることも多くなってまいりました。日々精進でございます。では、では。


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